絵と有機農業―私を育んでくれたもの
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画家・早慶志望の夢破れ―埼大以前
私は元々、絵を描くことが好きでした。鉛筆を握り、白紙に線を引いて、理想の絵に向かって邁進している時の私は、心も体も活き活きとしていたからです。
ただ好きと才能は一致せず、画家になりたいという夢を早くに失くし、それを見抜いた先生の「大学には美術史もあるよ」で進路を決めました。
「優れた絵が集まる東京で、優れた大学で学びたい!」
そう思い立って、慶應義塾と早稲田を受験したものの、共に不合格。一浪しても不合格。
埼大入学前に画家、早慶と、挫折を二度味わいました(悔しくて、入学後も懲りずに慶應を受験。最低ランクの補欠どまりでした)。
慶應義塾大学三田キャンパス東館。大学院進学説明会の日に撮影。
埼玉大学の全学講義棟2号館。二次試験の会場だった。 試験当日、最上階から見下ろした桜区の景色をよく覚えています。
「有機」との出会い―埼大時代
そんな失意のうちに入学した埼玉大学でしたが、幾つかの幸せな出会いに恵まれました。
まずはサークル。有機農業研究会に所属して、有機栽培をしながら、「ジャパンブルー」の藍染をしたり、大久保地区の方々とヤッサカ踊りを踊ったり…。SDGsが話題になる前から、持続可能な生き方に多面的に、頭と体で触れた経験は、私の生涯の価値観をつくってくれました。
次にアルバイト。本当に和気あいあいとした職場で、社長の発想はいつも破天荒だし、業務終了後は大体飲むし、揉まれるように、呑まれるように育ててくださいました。
「悪酔いなんて美酒に失礼」
「学芸員志望なら、絵だけじゃなくて、味わった酒の美味しさも説明できないとね」
職場でいただいた言葉と経験は、その後の私の生き方の指針になっています。
バイト先にて。宮泉は美味し。
そしてさきたま塾。実はその存在を知ったのは、サークル活動でのこと。有機農業をされていた石澤さんの御実家を訪問した時のことでした。
就活ゼミ二代目の髙木さんには、就活で一から十まで手取り足取りお世話になりました。
また進路に迷っていた時期、金子さんからは憧れの東京国立博物館のお仕事を伺い、その魅力と課題を知りました。
就活が行き詰まり、進路希望が就職から院進へと傾き始めていた頃、石澤さんがご自身の経験から、「『学歴ロンダ』をしよう!」と仰ったこと、今でもよく覚えています。
最終的に、志望を挫折した早稲田と、博物館学実習の同期が教えてくれた阪大を受験することを決め、有難いことに、両方から入学許可をいただきました。
色んな人と遊びに行った浅草。
カルチャーショックの阪大時代
もっと沢山絵を見たい。そう思って歴史を振り返れば、やはり文化の中心は関西。それで阪進を決めました。
阪大には優秀な学生が沢山います。将来に不安を覚えることも少なくありません。
ただ、秀才・天才の中で学ぶことは、自分の限界とオリジナリティを知ることだと気付けるようになりました。
学歴とは、ちっぽけな自分に与えてくれる自信ではなく、教え導いてくださる船なのだろう、と今では思っています。
そして文化の中心地である関西に身を置いたことは、私にとって本当に幸せなことでした。
2021年の6月末、梅雨の時期に、比叡山をバックに立つ毘沙門堂を訪ねました。
目的の襖絵を見終わって、お庭も堪能して、ぼちぼち帰ろうかと思っていた頃、急に空が暗くなって、強風が吹き始め、木の葉と鳥たちが騒ぎ出し、やがてあらゆるものを打ち落とす矢のような雨が降り始めました。
いわゆる足止めを食らって、本堂の前で呆然としていたら、同じく足止めされた参拝者の方が、本堂から出てきて、「入ったら?」と示唆してくださいました。
薄暗い本堂の中、その参拝者の方とは特に何も話さなかったのですが、同じ境遇を共有する安心感や、或いは自分のこれまでを内省するような、不思議な時間を過ごしました。
梅雨だからと言ってしまえばそれまでなのですが、この他にも茶道等、私は京都に来てから、天気の移ろいをつぶさに見つめる機会に恵まれました。
そうした移ろい、機微の一つひとつを日々肌で感じながら暮らすことは、絵画等様々な作品を創作する源泉であり、自然をよく知り、その力をお借りして栽培する有機農業の醍醐味にも繋がるのだと思います。
これから―持続可能性を目指して
埼大在学時からの夢、学芸員として働くこと。それは今でも変わっていません。
理想は平日学芸員、休日有機農家です。
この履歴書を書いている今、就活真っ最中ですが、学芸員になれたら、私を育んでくれた美術と有機農業の二つを掛け合わせた展覧会や企画を実現したいです。
今、日本の古い絵を守り伝えるために欠かせない職人さん、技術、材料がどんどん失われています。本当に待ったなしの状況です。
同時に、夏は年々暑さを増し、豪雨は甚大な被害を齎す等、有機農業と暮らしを巡る状況も厳しさを増していると感じます。
そんな中、自分に何かできることがあっても、それは本当にちっぽけと思います。
それでも、先代からの預かり物・後代からの借り物である古い絵と自然、私を育んでくれたこの二つを、これからも味わい、学芸員というお仕事の内外でその魅力を伝えていくことが、私の喜びであり、継承にも繋がると信じています。
2020年、北野天満宮史跡御土居青もみじ苑にて。 所々朽ちていて、光に透ける紅葉が美しかった。